SPECIAL INTERVIEW

カレー屋 アンシャンテ物語:
小笠原ご夫妻インタビュー

Enchant’e

アンシャンテのはじまりの頃のお話

小笠原由里子さん(以後、由里子さん):
1988年に喫茶店をしていたんです。
その時に主人と出会って、主人は青年海外協力隊でバングラデシュから帰国をして、
1000人の嘆願書が(帰らないで欲しいと)主人の元に届いてて。

それに応えられずに帰国せざる得なくて帰ってきてたので、
その時の主人のその(残れなかった)悔しさとかを見ながら、
もう一度主人が(バングラデシュへ)行くことが一番いいんですけど、
でもなかなかその(二人が)出会ってしまって、私はお店を始めたばっかりだし。

どうするかっていうことで、このお店の借金もたくさんあったので、
借金もなんとかして、それができたらもう一度にバングラデシュに行くっていう。
そういう2人の夢で、このカレー屋を主人が。

(それまでは専門が)農業機械だったんですね。

なのでスパナを持ってたのを包丁に変えてくれて。
そのバングラデシュへの想い。
それをカレーにしてくれて、
それでカレー屋としてスタートを新しくしたんです。

バングラデシュでの活動

インタビュアーバングラデシュでどんな活動をされてたんですか?

小笠原一博さん(以後、一博さん):
向こうでは土地のない農民、若者に農業機械のエンジンの修理技術を向こうで教えてました。

インタビュアーそれが青年海外協力隊?

一博さんそうです。

インタビュアーその関係で(5loavesの)英志さんと(出会ったんですね)?

一博さん
そうです。
青年海外協力隊つながりで。
協力隊って隊次は違っても、協力隊っていう経験があるだけでもうみんな繋がってしまう。

ど素人からのカレー作り

インタビュアーこだわりのカレー作りについて教えてください。

一博さん
カレー作りですか。

バングラデシュでは3年間いたんですけど、1回も料理したことがなくて。
3年間ずっと食べては来てたので、そこの隣のおばちゃんが作ってくれたカレーだとか、村の食堂で食べさせてもらったのとかそんなのを思い出しながら。

本当にそれまでは包丁を持ったことなく、スパナ・ドライバーの世界にいて。
無謀にも包丁に代えて。

その時に協力隊のベンガル語の先生の奥さんにカレーの基本を教わって。
最初は2種類3種類くらいから始めて、帰国した時もカレー屋やるなんてのはこれっぽっちも思ってなくて。

先ほど話した1000人の嘆願書にどう応えていこうっていうのと。
絡めてバングラデシュの本当の貧しさとか悲惨な部分はいっぱいメディアから伝わってくるんですけど、
実際にそのバングラデシュの人たちとか、出会った人たちの温かさって、
なかなか伝わってくることはなくて。

バングラデシュで出会った人たちの人の温かさを食文化を通じて伝えていけたらいいなっていう、
そんな思いで喫茶店をカレー屋に変えてしまいました。

バングラデシュの魅力を
カレーで伝えたい

インタビュアーバングラデシュのあたたかさをカレーで表現したんですね。

一博さんそう。

食(しょく)って、人のね、生活してったり、生きてく基本となる部分で。
向こうで出会った人たち、村回りしてその村の中で食べさせてもらったとか。
隣のおばちゃんが作って持ってきてくれたとか。

そんな人の温かさを少しでも伝えていったらいいなと。

インタビュアー:じゃあバングラデシュのおばちゃんたちのエッセンスが全部入ってるんですね。

一博さんそうですね。
おばちゃんたちもそうだし、おじいちゃんたちもそうだし。
出会った人たちの温かさ…

インタビュアー:アンシャンテのカレーにつまってるわけですね。

カルチャーショックの中での
バングラデシュ生活

インタビュアー:嘆願書をいただいた経緯について聞かせてください。

一博さん
行った当初は、本当に日本の生活とはかけ離れた生活で。
最初は鳥小屋に鳥と一緒に住んだりとかして。
カルチャーショックというか、一応協力隊って任期が2年だから、
「2年終わったら、ピタっと俺は帰るぞ」っていう風に最初は思いながらやってきたんですけど、
半年くらいして向こうの生活に慣れてきて、余裕もでてきたんですね。

バイクで村回りを始めた時に、村のご婦人が自分の子供の手を焼いてたんですね。
イスラム圏では、自分の子供を傷つけて憐れみを買いながら物乞いをしていかなければ食べていけない。

そんな現状があるっていうのは知識としてはあったんですけど、
今度それが自分の目の前で実際に起こってたんで。
その時に私は、同じ地球に生まれて今という同じ時を過ごしているにもかかわらず、
日本とバングラデシュの生活にこんなに違う現実があるんだ。
それを実感として体験として自分の中に入ってきた時に、
これはなんとかしなきゃと思って、そこから本当の協力隊活動に入っていけたかな。

それで、2年は終わって1年延長して、3年終わって。
3年終わった時点でも、まだいっぱいやり残したことがあって。
もう1年延長したかったんですけど、できなくて。

その時に、自分の生徒とか村の人たちが署名を集めて。
『もうちょっとここにいろ』という嘆願書を出してくれて。
またすぐバングラデシュに帰るつもりで、荷物そのまま置いてバック1個で帰国して。

帰国してから、奥さん(由里子さん)と出会って。

出会ってしまった二人

一博さん
1988年の3月に喫茶店が開店して、私が帰国したのはその年の4月なんです。
帰国してから訓練所でスタッフをやらしてもらった時に知り合って。

それでころっと… 結婚しました(笑)

インタビュアー:出会っちゃったんですね(笑)

一博さん
その夢とここの実際の現実をどう上手くしていこうかなというので。
喫茶店をカレー屋に変えたんですけど、なかなか食べていくのもやっとの状態で、
フラフラ… カレーをやってたんですけど…。

カレーで繋がるご縁に助けられる日々

一博さん
このカレーを通じていろんな人と出会わせてもらって。
その中に写真家で作家の藤原新也さんと出会わせていただいて。
藤原さんが雑誌にここのことを書いてくれて。

それでアンシャンテのカレーが絶滅の危機から救われて、
今があるという、そんな感じです。

インタビュアー:いろんな方が来られるんですよね、遠くから。

一博さん:
そうですね。
本当に藤原さんのおかげで、色んな方がそれを読んでもらって。
遠くは熊本とか、いろんなところから(来てくださってます)。

本当にカレー作りでは修行もしたことないし、
本当になんちゃってのシェフなんですけど、
ただ向こうのそういう生活の中でいろんな人と触れ合って。

村で食べさせてもらったカレー、いろんなその地方地方のカレーを食べてきたし。

サイクロン支援で
再びバングラデシュへ
活動の合間にカレー修行

一博さん:
ここが始まって2年目か3年目の時に、
バングラデシュで大きなサイクロンの被害があって。

その被害の調査とサイクロンシェルターを向こうに作るという、
そんな計画があって、その調査で緊急派遣でまた行かせてもらって。

その時に村回りしながらカレーを教わったり、
レポートまとめるのをホテルでまとめたから、
時間が空くとホテルの厨房へ行って、カレーの作り方を教わったり。

本当に村の家庭の味とホテルの味がミックスしたのが、
このカレーになったかなと。

とことんまで職人気質の
小笠原さんのカレー作り

インタビュアー:そういう秘密があったんですね。

由里子さん:
主人はもともと職人気質なので、商売人ではないんですよね。
なのでカレー作りも職人さんなんです。
時間は関係ないんです(笑)

なので、本当に玉ねぎも10時間以上炒め込んで、
炭になる直前があるんですけど。

インタビュアー10時間も炒められるもんなんですか?

由里子さん:
その時々、ポイントがあるので、
主人でないと分からないんですけど。

玉ねぎがいっぱい入ってるじゃないですか。
包丁を入れた瞬間に水分量がわかって。
この玉ねぎはこのカレー、
この玉ねぎはこのカレーって。
1つの箱の中でも違うんですよね、玉ねぎを使うカレーが。

インタビュアーカレーの種類が玉ねぎごと振りわけられていく?

由里子さん:
そうなんです。
水分量で旨味が違うんですよね、そのカレーの。

なので本当にそれから始まるので、
誰も真似できない。
主人しか作れないので(笑)

一博さん:変わってるんです(笑)

インタビュアー確かに(笑)

由里子さん:
そうなんですよ。
玉ねぎも寸胴で10時間炒めるんですけど、
その最初の頃は本当に最後の… 本当に一瞬で焦げるんですよ。
もう本当、炭になるんです!
でももう鍋はすっごい熱いし。
もうどうしようもないですよ!

もうどうにもできなくて、
目の前で炭になるのを見て、
もう1回始めから主人は玉ねぎを剥いて刻んで…、そうなんですよ。

ひたすらそれを何回も、
本当に何回泣いたことかっていうのがあって。

一博さん:(笑)

由里子さん:
今に至ってるですけど。
今でも改良してるんですよ。

インタビュアー進化し続けてるんですね!

由里子さん:
そうなんですよね。
なので皆さん美味しくなったって言ってくださるんですけど、長いお客さんが。
それも(全て)バングラデシュへの愛情がすごいので。

インタビュアー全てはバングラデシュへの愛と奥さまへの愛が。

二人笑顔でうなずく…。

お客さまに愛され共に歩んだ、
カレー屋「アンシャンテ」

一博さん:
でも本当にこの店て来てくれるお客さんと共にあるなっていう感じがして。
藤原さんの雑誌の記事を読んでくれて、
広島からいらしてくれたお客さんは。

最初は恋人同士でバイク2台で来られて。
次の年は結婚しましたって、軽自動車で来られて。
次は子供生まれましたって、ワンボックスになったっていう。
本当にもう、何十年?

由里子さん:うん、30年以上。

一博さん:
そうやって毎年家族の様子と共に。
この店の様子も一緒に進化して来たかなっていう気がします。
本当にありがたいですよね。

由里子さん:ありがたいですね…。

一博さん:
名古屋からいらしてくれたお客さんは、
子供さんが4姉妹でそれぞれが結婚して独り立ちしていって、
家に集まるっていうとみんな集まんないんですけど。

アンシャンテに集合っていうとみんな集まるんですって(本当に嬉しそうに)。
本当にお客さんと共にある店だなってふうに。

おかげさんです…。

由里子さん:
あと(お客さまで来られる)ご主人様の奥様がカレーのファンで、
わざわざ予約をしに、奥さんのお誕生日にって。
そういう特別な日に予約をしてくださるご主人様、たくさんいらっしゃいます。
特別なカレーにさせてもらって、嬉しい限りです。

60歳を機に新たに立ち上げた
バングラデシュ支援の
「NPO法人 バングラハート」

由里子さん:
携帯もパソコンもない時代に活動をしていたっていうのは、
もう本当にその現地に溶け込むしかない時代の昭和の隊員なので、
本当にその村人との関わりが深くて。

その村人たちの貧しさも豊かさの全てを味わってきたその嘆願書っていうのは、
やっぱりずっと重たかったと思うんですね。

60歳を機に、もう1度その自分が最後の仕事として、
それを何かの形でっていうことで、
それで「NPO法人バングラハート」を賛同してくれた仲間が立ち上げてくれて。

それであ向こうに主人の任地だったところに小学校を建てて、
それも県内で呼びかけて県民参加をしてもらって、
30人ぐらいの清泉女学院の学生も大勢参加してくれて。

向こうでみんなで整地から建てるのも一からやってもらって、
小学校に行けなくなった子どもたちをそこで学んでもらうっていうのやったりとか、
そういう活動をしてた時にテロが起きて。

それで第2弾、第3弾と学生が行く予定だったんですけど、それができなくなってしまって。
でも何かの形でっていうことで、今も継続して模索してるんですけど。

それで主人も軸をバングラの方に移したいっていう、私もその希望があったりして。
そんな時にじゃあこのお店はどうしたらいいんだっていうことになって。

駒ヶ根で起こった愛の化学反応

由里子さん:
その時に 5loaves 元理事長の英志さんが相談に乗ってくれて。
すごく親身になってくれて、カレーもよく食べててくれたので。

「もったいないよ」って。
英志さんもNPO法人 5loaves を立ち上げたばかりで。
それで何かいい形をできるように考えようって言ってくれて。

それで主人はバングラデシュに行くのに一番の不安は、
やっぱりこのお店と老体の私だと思うんですけど。

そこで英志さんが声をかけてくれて、
英志さんのその卵(自然養鶏の)もめちゃくちゃ美味しいんですよ。

生みたて卵の「あのころのきみ」を使ったシフォンケーキを作らせてもらって。
それが形としてみんなの工賃に繋がっていったらすごくいいっていうことで、
英志さんもすごく喜んでくれて。

その誘いもね、私たちもありがたいなと思って。
このカレーもシフォンケーキも、
みんなと 5loaves と繋がっていけるっていう、
すごくありがたいなと思ってやらせてもらっております。

英志さん沖縄行っちゃったんですけど…(泣)
ええー!?っみたいな感じだったんですけど。

でも弟さんが新しく理事になってくれて、
聖太さん(弟さん)がすっごいやっぱり若い力はパワフルで、
これは大丈夫だ。

ちょっと私たち老体ちょっとね。
年寄りに言うのもきっと色々遠慮してるだろうなと思うんですけど、
でもすごく温かく私たちのことも聖太さんご夫妻が受け入れてくれて、
一緒にさせてもらっております。

二人の夢、やりたいこと

インタビュアー:これからの夢、やりたいことは何ですか?

一博さん:
夢、そうですね。
そういう形でせっかく店をやってもらえるようになったので。

最後に本当にバングラデシュで、自分の今の立ち位置で、
自分ができることを、精一杯やらせてもらいたいなっていう風に思っていて
今までいろんな人の寄付とか助けの中でやってきたんですけど。

どうしてもそれだけでは持続可能な活動ってなかなか難しいなっていうのに、
その壁に当たってる最中で、一つには現地に一つ会社を立ち上げて。

その会社で現地の人たちと一緒にその会社を盛り上げながら、
1つのそこを基盤としてバングラデシュで活動できればいいかなという、今そんな計画を進めてる最中です。

自分たちの稼げる場所とその利益をもちろん自分たちの生活もあるんですけど、
それをどう今まで関わってきたバングラデシュの人たちに、
少しでも笑顔が多くなるような。

そんなことのために還元できていけたらいいかなと、
そっちの方に力から見ていけたらいいかなっていう風に思ってます。

由里子さん:
いろいろな方と出会って本当に人生を豊かに人になってきて、
その中でも主人によって途上国の心の豊かさを教えてもらって、
今までの自分の価値観が取り払われて。

それで今度聖太さん、今やって今ある 5loaves ですね。
障がいを持たれた方々の自分なりの今までの価値観も、
本当に出会うことによって全然違うっていう。

本当にそこでまたすごい心が開かせてもらって、
本当に豊かさをいただいて、
すごくそういう出会わなければ、飛び込まなければ分からない世界って本当にあるんだなって、
すごい感じて、これからもそんな皆さんに、
頂いた皆さんに少しでもご恩返しができるように、

何かおばさんパワーでさせていただけることがあったら、
喜んでさせていただきたいなって思っております。