ファーストマウンテン / ヴィンテージ古着屋
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ファーストマウンテン / ヴィンテージ古着屋
インタビュアー:
5loavesさんではさらに画期的な活動をされているとお伺いしました。
城村さん:
大きい夢からいきますとね、このファイブローブスを作った時から言ってることがあって、「いつかパリコレに出たい」と思ってるんですよね。
障がいを持たれている方々皆さん、元々はね、うちの弟(現代表 城村聖太)夫妻のその私にとって甥っ子、その長男をね。
彼をパリコレに立たせたい、どうせなら皆で立ちたい。
そんなこと思ったんですよね。
そこから始まってますね。
パリコレに障害を持っている方々が日本から行って、そしてファッションの世界で華やかな世界で障害を持っている方々が出れたら、きっとそれっていい世の中だよねって、そんな妄想してるんですよ。
寝たきりの子がおしゃれしてカートに乗ってきて、そこにまた障害を持っている方々が一緒に歩いてくるって、そんな世界って素敵だよねって、そこから私たちの活動って始まってるところがあって、だからいつかパリコレ出たいっていう思いがあって、そのために何する??ってあるんですよ。
そんな中から私たち、今古着屋さんも始めて、ファッションの世界にまず入ろうということでやってますけど。
本当に私たちがやることによってね、何かこう障害持っている方々が働いている世界って、皆さんの想像を超えていきたいんですよね。
例えば、街中にある古着屋さんもとてもおしゃれなお店になってます。
スタッフの方々本当に頑張っていいお店作ってくださいました。
ヴィンテージ古着屋:ファーストマウンテン
私たちの古着屋さん、ファーストマウンテンっていうお店なんですね。
まだできたばかりです、今年の夏に。
街中でオープンしたんですけど。
今年(2022年)の1月ですよ、やろうって決めたの。
利用者さんにね、「何やってもいいって言ったら何やりたい?」って言った中の一つにアパレル店員っていう方が何人かいたんですよ。
いいねって思って。
「できんじゃない」ってみんなで考えたんですよ。
で、じゃあアパレル店員で何やったらいいんだろうって。
私たちにできることって何だろうなって。
また私たちがどうやったらできるんだろうなぁー、色々考えてみたんです。
そしたら古着屋さんいけるんじゃないって。
今流行ってるみたいだし、そして古着ってもしかしたらそのSDGSの問題とかね。
環境問題とかに関わってくるすごく大切な問題なんじゃないかって。
みんな勉強したんですよ。
「僕らもただ売るだけじゃなくて世の中にいいことがしたいね」
「そしてこれから誇りを持ってできる仕事がしたいね」って言った時に、「よし古着屋さんやろう!」
今年の頭ぐらいかな、みんなで話し合ったんですよ。
「でもこの田舎だからどうする?」、「古着屋さんってね、他にもあるし大きい古着屋さんもあるし」っていう中で、
「でもどうせやるんだったら東京とか名古屋からもお客さん来て欲しい よね」って。
まあ皆さん言いたい放題言うもんですから、どうするってね。
「田舎に、いやいやいや、名古屋からお客さんが来る店したいよね」とか言うわけですよ。
で、もうみんなで考えたんですよ。
じゃあどうしようかって。
で、みんなで考えたらね。
うちのスタッフがどうも古着好きなスタッフがいまして。
大石さんという店長がいるんですけど、彼がどうもヴィンテージ古着というものをよく知っていて、
大好きだって言うんですよ。
昔そういったものを集めていた時代があるというんですよ。
でみんなで話し合って、じゃあヴィンテージ古着がいいんじゃないって話になったんですね。
ヴィンテージ古着でもね、20年、50年とか古いものだと70年前の服とか、そういった世界ですよ。
そういった服を集められるのと思ったんですけど、でもそういったものだったら貴重だから遠くからも来るんじゃないかってことで。みんなで知恵出して、じゃあやってみようということで、まずはもう「やる」って決めたんですよ。
そして嬉しいことにこの古着屋さん、最初どうやってやったらいいんだろうって分からなかったですね。
古着屋さんやったことが誰もいないので、1人も。
そんな中で街中でやりたいって言った時に、地域の方々がこの場所使っていいよって言ってくださった。
本当、街中で一番いいところに場所を開かせていただきました。
そういった協力があったり、また私たちが「この障がい持っている方々が輝ける場所として古着屋さんやりたいです」ってこのことをいろんな方にお伝えしていったら、ありがたいことに日本中の名だたるバイヤーの皆さんが「応援するよ」って言ってくださったんですよ。
どうも後から考えると、そういった方々と一緒に仕事するの難しい世界らしいんですよ。
でも私たちのこの思いに共感してくださって、応援するって言ってくださるんです。
聞くとねそういったバイヤーの皆さんや私たちのこの仕入れに支援してくださる方々皆さんがおっしゃるのが、
「実は私も家族に親戚に障がいを持っている方がいるんです」って。
「でも彼らのために何かしたいと思ってたけど何もできずに今まで来たんです」って。
何かしたいと思ってたって、でも私たちが古着屋さん始める時に、「自分がそこに関わることで障がいを持っている方をサポートできるっ、こんなことができるなら僕は協力します」って。「ずっと障がい持ってる方々のために何かしたかったんです」って、皆さんが皆さん言うんですよ。
すごい嬉しかったんです。そういった方々が本当に力になってくださって。
皆さんのお力、想いで成し遂げられたお店
本当にこうヴィンテージ古着って特別な古着ですよね。
一着が本当に貴重なものですし、そういったものをもう日本中から世界中から集めてくださって、
私たちのお店で販売させていただくことができています。
私のアイデアだけでは絶対無理なお店なんですよ。
それをやりたいっていう利用者さんがいないとできないし、またそれを形にしようとしてくださるスタッフがいなければできないし、私たちの思いに共感してくださる地域の方やまたそういった古着の世界に詳しいプロの方々の応援がなければできないものだったので。
そういった方々が協力してくださって、この店ができたっていうのをすごく誇りに思っています。
このお店を通して利用者さんたちが「自分のお店だ」って、喜んでね。
そして誇りを持って街中で働いてほしい。ここ(教会は)森の中ですので、ここもいいんですよ。
ここで養鶏も素晴らしい仕事なんですけど、一方で街中でやっぱりお客さんに直接出会ってありがとう」って言ってもらえる。
そしてこちらも「買ってくださってありがとうございます」っていう、そういったお仕事ができる場所として古着屋さんができて本当に嬉しく思ってます。
インパクトを残して、日本中にムーブメントを起こしたい
利用者さんが本当にいい顔で働いておられるんですよ。
障がい持たれている方々がやってるお店というのを一般の方がイメージしたら、最初行ったらわかんないと思います。
「ここは障がい持たれている方が働いてる」って、
「実は障がい持ってる方々がこういうお店作ってるんですよ」って言った時に驚いてくれると思うんですよ。
いつも私たち、驚いてもらいたいんです。
と同時に、驚いてほしいと同時に、でも驚かない世の中になったらいいなって、いつも思ってます。
障がい持ってる方々がこういうお店を作ったんだって、すごいなって驚いてほしいけれども、
それ以上にそれが当たり前になっていく世の中っていうのを作っていきたいと思っていて。
私たちがやっているのはね、田舎の小さな町の小さなお店です。
でもこの一つのお店がね、良いインパクトを残していると思うんですよ。
この町にとっても「この店ができて良かった」ってきっと思ってもらえるお店になると思うんですよ、と同時に働いている人たちがそこで誇りを持って、そしてこのお店を好きになって、
お客様もこの店を見て、こんなことができるんだって驚いてもらったら、それをそれぞれの街に持って帰って、障がい持ってる人でもこういう店できるんだよって、みんなでできるんだよって、それがね、ムーブメントになって日本中でそういったお店ができていったらいいなって、これも僕たちの夢ですね。
あのころのきみ / 自然養鶏
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あのころのきみ / 自然養鶏
インタビュアー:
本当におしゃれなお店(古着屋さん)でびっくりしました。
また、教会のお隣でも皆さんでお仕事をされているってお聞きしました。
城村さん:
僕たちは養鶏をしてるんですよ。
自然養鶏をやってるんですけど、いろんな方々に教えていただいて、それで聞きましたらね、
地域の年配の方々が「昔の卵は美味しかった」っていうんですよ。
今の卵と違うんですか?って聞いたら、「違う」って言うんですよ。
昔は栄養ドリンクがなかった時代に、卵に穴開けてこう飲んだりして、でそれで畑仕事やってたんですって。
生卵飲んで「美味しかった」って、「力が出た」って。
「今違うんだよなぁ」って、おっしゃってたんですよ。
「何が違うんですか?」って聞いたら色々教えてくださって、それでよしじゃあ自然養鶏やろうってことで、 数年前から始めたんですね。
利用者の方々が一生懸命、餌を手作りして。
地元のもので本当にそこにはワクチンとか必要がない、本当に健康な鶏を育てようってことでやってるんですね。
で、この卵の名前が「あのころのきみ」っていう名前で、おじいさん、おばあさんがあの頃の卵が美味しかったったんだって言ったところからヒントをもらって付けた名前なんですけど、「自信持って1パック1000円で売ろう」ということで、売らせてもらっているんですよ。
これも皆さん喜ばれます、というか驚かれます。うちの卵を食べた時に「こんな美味しい卵あるの?」って喜んでくださるんですよ。
それもすごい嬉しいですね。障がい持っている方々が作った卵をこんなに喜んでくれる。
こんなに驚いてくれるって、すごい嬉しいんですが、でも同時にこれもやっぱり当たり前にしていきたいんですよね。
障がい持ってるからどうこうではなくて、こんなに美味しい卵があるんだって、
これを食べていこうよって、これで健康になろうよって、そんな風に思ってもらえる。
これを障がい持っている方々が作ったからといって、それ自体を驚くんではなくて、皆さんがこういった方々が頑張ってるんだって、それを当たり前のものとして受け止めて、そしてその卵を食べていただくってそんな風になれたら嬉しいなと思っています。
今はまだ驚いてもらうステージなんですけど、驚かないでもらえるようなそんな未来が作れたらいいなって、そんな風に思っています。
私たちの養鶏は自然養鶏と言いましてね。
自然にあるものを活かして、またこの鶏たちの持ってる自然の力を持って、
鶏たちを育てて、そしてそこから鶏たちに美味しい卵を産んでもらって、
鶏たちに無理させずに、鶏たちにも幸せになってもらって、
それを育てる私たちも鶏たちを応援しながら養鶏したい、ということで自然養鶏に取り組んでいます。
みんないつも言ってるんですよ、
「ここに来て、スタッフの僕もね幸せだし、利用者さんも幸せだし、ここに来た鶏たちも幸せになってもらおう」って、いつも思ってるんですよ。
生まれてここに配属されて良かったなーって鶏に、思ってほしいんですよ。
だからあの本当に利用者の皆さんがねほんと愛情込めて育ててくださって。
あれですよ、僕はたまにあのオンドリに突かれるんですけど、毎日行かないから(笑)。
でも利用者さんたちにはオンドリも優しいんですよ。
あのわかるみたいで、「おまえたまにだろう」って言われて僕はね、
だけどね、利用者さんが行くと優しいんですよ、鶏も。私たちの自然養鶏はこだわるところがいくつかあるんですけどね
そのうちの1つが餌作りだったり、水だったり、やっぱり食べるもの飲むものっていうのはすごくこだわっています。
地域に根付いた、おじいちゃんおばあちゃんから受け継いだ養鶏
地域の方々がこれも協力してくださって、古い米を集めてくださったり、
また餌もね地域にあるものを使って、皆さん持ってきてくださるんですよ。
近くにビール工場もありますので、ビール工場でできた麦のカスとかそういったものも、
タダでいただいて餌に使わせてもらったりとか。
地域のスーパーで出たお魚の粗をいただいてきてね、
そこでみんなで煮て、餌にあげたりとか、そしてそれ(餌)を発酵させて。
みんなでこう混ぜてやるんですよ、大変ですよ。
1回120kgぐらいかな、それを週に3回、月水金午前中に作るんですけど、利用者さんが一生懸命混ぜて、
そして熱を持たせて発酵させて、そして発酵したものを(鶏たちに)あげるんですね。
また地域の方々から竹のチップを安く購入させていただいて、竹チップを餌の中に入れたりとかすることで、
もう糞のにおいも なくなったりして、皆驚きます。
「うちの養鶏場に来るとにおいがしない」って。
それはやっぱり地域の方々からいただく餌の質がいいことと、皆さんが本当に発酵させて良い餌を作ってくれるので、鶏自身がすごい健康ですし、糞もくさくないんですよ。
私もね、奥さんが良いご飯作ってくれるので、良いご飯食べてますけど。
鶏たちも僕に負けないぐらい、とても良いのを食べてます。
野菜もあげるんですけど、あの隣村の中川村というところで、
有機栽培をしている農家さんがおられまして、クズ野菜として出たもの、
見たら私たちも本当に食べれる美味しいものですよ。
有機野菜、うちの鶏、それを遠慮なく食べてますから、毎日。
食べ物もすごく良いもの食べさせていただいて、水も利用者さんたちとスタッフが一緒になって地下水をいただきに行って、
地下水汲んで、飲んで、だから食べ物も水もいいのでうちの鶏、風邪ひかないんですよ。
ここを冬は一番寒い時マイナス15度くらい行くんですよ。
全然風邪ひかないです、とっても健康で。
なので、卵もすごくいい卵を産んでくださって。
本当に真っ黄色なんですけどね、色の薄い黄色なんですけど。
ほんとつまめますよこうやって、箸でもつまみますし、黄身こうやって普通につまんで、もう20分でも30分で持ってられるぐらい 本当に健康な卵を鶏達が産んでくれて。
あ、そうだ。それからできるあのシフォンケーキがうちのまた売りなんですけど。
シフォンケーキもすごくたくさんの方に喜んでいただいて。
最近宝塚(劇団)の方からも「美味しかったです」って、サインいただいたんですよ。
みんなすごい喜んでました。「宝塚にまで私たちの卵いったの?」って、すごいいろんな方に応援していただいてね。
嬉しかったですね。
アンシャンテ / カレー屋さん
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アンシャンテ / カレー屋さん
インタビュアー:
「あのころのきみ」は、全国から注文がたくさんあるとのこと。
そして、他にも人気のお店をやられているとお伺いしました。
城村さん:
私たちの法人では、駒ヶ根の街中に「アンシャンテ」というカレー屋さんがあるんですよ。
あちらも一緒にタイアップしてくださって、私たちの職員としてカレー屋さんをやっています。
これはもともとは私たちが作ったお店ではなくて、地元にあるアンシャンテというカレー屋さんなんですよ。
実はカレー好きの人たちが、知る人ぞ知るお店で、もう食べてる方々はもう「日本一のカレー屋さんだ」って、
言ってくださる方々も多いお店なんですよ。
多分地元の人よりも遠くの方々の方がよく知ってて、東京とかこの前もなんか広島とか九州からもわざわざカレーを食べに来てくださったお店だったんですね。
そのお店の方、ご夫妻が私友人だったんですけど、その方々と私たちの夢を語ってたんですよ。
で、実は協力していただくことになって、今は私たち法人の中でカレー屋さんを運営してもらっています。
なぜ彼らとやっているかというと。
障がいを持たれた方々に聞いてみたんですよ。
何やってもいいって言われたらどんな仕事したい?って、何やってもいいよって言ったら、まあいろんなこと言ってくださいました。
カメラマンやってみたいとか、将棋クラブを運営したいとか、自転車屋さんやってみたいとかもあるんですよね。
飲食店もやってみたかった、じゃあやろう。
その中で何票かあったのが、「飲食店やってみたい」、あとは「ファッションの世界で仕事してみたい」、という声があって、それで私たちファッションの世界、「じゃあ古着屋さんやろう」、って古着屋さん始めたんですけど。
やっぱり「飲食店もやってみたかった」って声が多かったんですよ。
自分たちが作っている卵を加工してなんかケーキとかを作って、それを出せるお店、喜んでもらえるお店が欲しいっていうことだったんですよね。
そのことをカレー屋さん(アンシャンテ)の小笠原さんご夫妻にご相談したら、「じゃあ一緒にやろうか」って、言ってくださり、私たちの(組織の)中に入ってくださった。
本当はね、もうカレー屋さんそこで十分できる方々なんですけど、
私たちの法人の中に入ってきてくださった。
私たちの利用者さんが本当にここでやりがい持てるようにって、
自分たちのお店だって思ってもらえるようにっていう、そういった協力していただき、カレー屋さんを一緒に運営、経営してもらってます。
なんかこう嬉しいんですよ、『僕たちはカレー屋さんを経営してるんだ』っていう、
これ僕も思うし、利用者さんみんな思ってるんですよ。
飲食店をやってるっていう、
みんなね、自分がオーナーだと思ってるんですよね。
もうすごい嬉しいんですけど、自分たちはカレー屋さんをやってる、古着屋さんをやってる、養鶏をやってるというね、
一人ひとりオーナーマインドを持ってて、嬉しいなと思ってますね。
そういった活動をしています。